天の川銀河中心の巨大ブラックホールを周回する ガスリングの化学組成を初めて明らかに
慶應義塾大学大学院理工学研究科の竹川俊也(修士課程2年)と同理工学部物理学科 岡 朋治 准教授らの研究チームは、国立天文台野辺山45 m電波望遠鏡を用いて、天の川銀河中心の巨大ブラックホール周りを回転するガスリング「核周円盤」について詳細な電波分光観測を行い、その化学組成を初めて明らかにしました。その結果、核周円盤には比較的簡単な構造の分子が多く含まれる事が分かりました。これは、核周円盤内部が大きな分子の存在できない過酷な環境である事を意味しており、この事は過去の中心核巨大ブラックホールの活動性と密接に関係している可能性があります。
今回得られた観測データは、天の川銀河中心と他の銀河の中心とを比較研究する上でも非常に有用なものであり、今後多くの研究に活用されることが期待されます。
本研究成果は、8月12日発行の米国の天体物理学専門誌『The Astrophysical Journal Supplement Series』オンライン版に掲載されました。
【研究背景】
太陽系が属する天の川銀河(銀河系)の中心核「いて座A*」(上図)は、太陽系から約二万七千光年の距離に位置し、そこには太陽の四百万倍もの質量をもつ巨大ブラックホールが潜んでいると考えられています。一般に、巨大ブラックホールを含むと考えられる銀河の中心核は非常に明るく観測される(活動銀河核注1))のですが、いて座A*は極端に暗くおとなしい天体です。一方で、近年の研究により、いて座A*が過去数百年前は現在より数百万倍も明るく活発な天体であった可能性が指摘されています。
いて座A*は、半径約6光年の高温・高密度なリング状のガス雲「核周円盤」に取り囲まれています(図1)。この核周円盤は、いて座 A*へと供給される物質の貯蔵庫であると同時に、その物理状態・化学組成は、いて座 A*の過去の活動を反映していると考えられています。つまり、中心核いて座 A*と核周円盤は密接に関わり合っており、核周円盤の性質を詳しく調べることは、核周円盤自身の起源解明のみならず、中心核巨大ブラックホールの活動性を理解する上で非常に重要です。しかしながら、核周円盤周辺には大量の星間物質が集中しており、前景および背景の銀河系円盤も視線上に重なるために、観測データから核周円盤のみを抽出する事は著しく困難でした。そのため、核周円盤の発見(1986年)以来、様々な観測的研究が行われて来たにも関わらず、未だにその物理・化学状態はもとより実体すら正確に把握できていないのが現状です。この核周円盤の性質を詳しく調べるためには、ここにどのような原子・分子が含まれるのかを定量的に調べる必要があります。
原子や分子は、それぞれ離散化されたエネルギー状態注2)間の遷移に応じて電磁波を放出し、それらは特有の周波数をもつスペクトル線として観測されます。よって、広い周波数帯に渡って天体の分光観測を行い、検出されたスペクトル線を分析することで、その天体を構成している原子・分子を同定し定量することができます。このようなスペクトル線の探査を目的とした分光観測のことを「ラインサーベイ観測」といいます。ラインサーベイ観測は、当該天体の性質を調べることだけではなく、他の様々な天体と比較研究する上でも非常に威力を発揮します。しかしながら前述の困難から、銀河系中心の核周円盤、および、いて座A*方向に対するラインサーベイ観測はこれまで報告例がありませんでした。
【研究成果】
研究チームは、銀河系中心核周りの核周円盤の性質、特にその化学組成を調べる目的で、国立天文台野辺山45 m電波望遠鏡を用いて核周円盤の接線方向2点、および、いて座A*方向の1点(図1)に対するラインサーベイ観測を実施しました。観測でカバーした周波数帯は81 GHz から116 GHzで、3つの観測点からそれぞれ高品質な広帯域スペクトルを得ました(図2)。
その結果、46本の分子スペクトル線と4本の水素原子スペクトル線を検出することに成功しました。本ラインサーベイ観測で検出された分子は以下の29種(同位体分子10種を含む)です。
- 二原子分子:一酸化炭素(CO,13CO,C18O,C17O)、シアンラジカル(CN,13CN)、一硫化炭素(CS,13CS,C34S)、一酸化ケイ素(SiO)、一酸化硫黄(SO)
- 三原子分子:シアン化水素(HCN,H13CN)、イソシアン化水素(HNC,HN13C)、ホルミルイオン(HCO+,H13CO+)、エチニルラジカル(C2H)、酸化硫化炭素(OCS)、アミノカチオンラジカル(N2H+)、ニトロキシル(HNO)
- 四原子分子:イソシアン酸(HNCO)、チオホルムアルデヒド(H2CS)
- 五原子分子:モノシアノアセチレン(HC3N)、シクロプロペニリデン(c-C3H2)
- 六原子分子:メタノール(CH3OH,13CH3OH)、アセトニトリル(CH3CN)
- 七原子分子:アセトアルデヒド(CH3CHO)
今回観測した方向には、核周円盤とそれに隣接する2つの巨大分子雲注3)(+50 km s-1雲と+20 km s-1雲)、さらに銀河円盤部の渦状腕が重なり合っています。各天体から放射されるスペクトル線は、その放射源の視線方向の運動速度(視線速度注4))に応じて周波数が変化します。特に、核周円盤およびそれに隣接する巨大分子雲は乱流状態が卓越しているため、検出されたスペクトル線は非常に線幅が広いものとなっています。一方で銀河系円盤部の渦状腕は比較的乱流が強くないために、細い線幅のスペクトル線となって現れます(図3)。
さらに、核周円盤は約110 km s-1という高速度で回転していることが分かっています。そのため、接線方向(観測点NE, SW)ではそれぞれ+100 km s-1,–100 km s-1付近の視線速度を持つことになります。隣接する2つの巨大分子雲は、+50 km s-1雲がNE方向、+20 km s-1雲がSW方向に重なり、それぞれの名前が示す視線速度を持っています。これらをまとめると、(1) NE方向では、核周円盤が+100 km s-1付近、+50 km s-1雲が+50 km s-1付近に、(2) SW方向では、核周円盤が-100 km s-1付近、+20 km s-1雲が+20 km s-1付近に現れる事になります。
研究チームは、これら特徴的な視線速度におけるスペクトル線強度を手がかりに、検出されたスペクトル線を以下の3つの型に分類しました。
- 1) 核周円盤からの放射が卓越しているもの(CND型)
- 2) 巨大分子雲からの放射が卓越しているもの(GMC型)
- 3) 核周円盤と巨大分子雲の双方から放射されているもの(HBD型)
図4は分類に使用したダイアグラムで、NEとSW各方向における(核周円盤からの放射強度)/(巨大分子雲からの放射強度)比を各々xy軸に取ってプロットしたものです。原点から離れる程に、核周円盤からの放射が相対的に強い事になります。具体的には、CND型に分類されたのはシアン化水素(HCN)、ホルミルイオン(HCO+)、一酸化ケイ素(SiO)、シアンラジカル(CN)等の分子、GMC型に分類されたのはメタノール(CH3OH)、モノシアノアセチレン(HC3N)、イソシアン酸(HNCO)等の分子です。このように、比較的小さい分子はCND型に、四原子分子よりも大きい分子はGMC型に分類される傾向が見られます。一般に、複雑な大型分子は、紫外線やX線などの強い放射場によって破壊され易いとされています。つまり上記の分類結果は、核周円盤が隣接する巨大分子雲と比較して、紫外線またはX線放射の強い過酷な環境にある(あった)事を示唆しているのです。この事は、過去の中心核巨大ブラックホールの活動性と密接な関係があるのかも知れません。
また、電気双極子モーメント注5)の大きいシアン化水素(HCN)や一硫化炭素(CS)等の分子は、高密度な領域でのみスペクトル線を放射します。核周円盤では、これらのスペクトル線が相対的に強く、巨大分子雲に比べて高密度であることを反映していると考えられます。さらに、シアン化水素(HCN)とホルミルイオン(HCO+)のスペクトル線強度比は核周円盤、周囲の巨大分子雲ともに2程度という値をとっています。最近の研究によれば、このHCN/HCO+強度比は中心核活動性と密接な関係があり、この値が1を超える場合は活動的な中心核を含んでいるという主張があります。つまり核周円盤で観測された高いHCN/HCO+強度比によって、天の川銀河の中心核いて座A*が過去に活動的であった証拠を、また一つ新たに加えた事になります。
【本研究成果の意味】
今回の研究によって、銀河系中心の巨大ブラックホールを周回するガスリング「核周円盤」の化学組成が初めて明らかになりました。その結果、核周円盤は主に比較的単純な分子から構成されており、そこが複雑な分子が存在できない過酷な環境下にあった事が示唆されました。また、本研究で分類された分子輝線を選択的に観測することで、核周円盤および隣接する巨大分子雲の実体をより正確に描くことができます。これによって、巨大ブラックホールを取り巻く銀河系中心環境について新たな知見が得られることが期待できます。
近年の研究によれば、ほぼ全ての銀河の中心核には、巨大ブラックホールが潜んでいると考えられています。そして、中心核を取り囲む核周円盤もまた普遍的に存在していると考えられています。つまり、本研究によって得られた銀河系中心の核周円盤に関する知見は、一般の銀河中心核の活動性の理解へ向けた重要な礎石となるものであり、今後の比較研究において大いに活用され得る貴重なデータセットを提供したことも本研究の重要な成果の一つと言えます。
【研究論文について】
本研究成果は、8月12日発行の米国の天体物理学専門誌『The Astrophysical Journal Supplement Series』電子版に掲載されました。論文の題目、および著者と研究当時の所属は以下の通りです。
- “Millimeter-wave Spectral Line Surveys toward the Galactic Circumnuclear Disk and Sgr A*”
- 竹川俊也(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2年)
- 岡 朋治(慶應義塾大学 理工学部 物理学科 准教授)
- 田中邦彦(慶應義塾大学 理工学部 物理学科 助教)
- 松村真司(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 博士課程3年)
- 三浦昂大(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2年)
- 酒井大裕(東京大学 大学院理学系研究科 修士課程2年)
(プレプリント)URL http://arxiv.org/abs/1407.4880
【用語説明】
- 注1)活動銀河核:銀河中心核のうちで、通常よりも極端に明るく輝き活動的なものを活動銀河核という。銀河全体の1%よりも小さいコンパクトな中心領域から銀河全体の明るさを凌駕するほどの莫大なエネルギーを放出しており、そのエネルギー源は中心核に潜む太陽の数百万倍から数十億倍もの質量をもつ巨大ブラックホールであると考えられている。
- 注2)離散化されたエネルギー状態:量子力学によれば、原子や分子などのミクロな物質がもつエネルギーは連続的に自由な値をとれるわけではなく、飛び飛びの値しかとれない。原子や分子が持つエネルギーは、原子核と電子との位置関係や分子の振動や回転といった運動状態などに応じて変化し、原子や分子はある確率で自身が持つエネルギーを電磁波という形で自発的に外に放出する。
- 注3) 巨大分子雲:宇宙空間に存在する様々な分子(大部分は水素分子)が雲状にまとまったものを分子雲といい、そのうちで大きさが数十光年以上、質量が太陽の1万倍程度以上のものを特に巨大分子雲という。
- 注4)視線速度:観測されるスペクトル線は、ドップラー効果により観測者との視線方向の相対速度に応じて周波数が変化する。この視線速度は、遠ざかる方向を正として、太陽系近傍にある恒星の平均速度を基準に表示される。
- 注5)電気双極子モーメント:正負が異なり大きさが等しい二つの電荷の対のことを電気双極子といい、その電荷同士の距離と電荷量の積で定義される量が電気双極子モーメントである。電気双極子モーメントは電気的な偏り具合いを示す。
<リンク>
国立天文台野辺山45m電波望遠鏡 http://www.nro.nao.ac.jp/~nro45mrt/html/
慶應義塾大学理工学部 岡朋治研究室 http://aysheaia.phys.keio.ac.jp/