天の川銀河中心核近傍で「おたまじゃくし」分子雲を発見 -ブラックホールと戯れ中?-
概要
慶應義塾大学大学院理工学研究科の金子 美由起(修士課程2年)と同理工学部物理学科の岡 朋治教授、国立天文台、神奈川大学からなる研究チームは、天の川銀河(銀河系)の中心核「いて座A*(エースター)」近傍に孤立して存在する「おたまじゃくし」分子雲を発見しました。この分子雲は、天球面上で円弧状の形態を有し、その円弧に沿って視線速度が単調に変化していることが明らかになりました。この空間速度構造は点状重力源周りのケプラー軌道によって極めてよく再現され、その重力源の質量は太陽の10万倍と推定されました。また他波長において対応天体が存在しないことは、この点状重力源が高密度の星団などではないことを意味します。現時点では、点状重力源が中質量ブラックホール*1である可能性が最有力視されます。本天体は、分子ガスの分布・運動の解析から発見された中質量ブラックホール候補天体の中で、最も確度が高いと考えられます。
本研究成果は、1月10日発行の米国の天体物理学専門誌『The Astrophysical Journal』に掲載されました。
- 天の川銀河の中心核近傍において「おたまじゃくし(Tadpole)」状の空間速度構造を持つ分子雲を発見。
- 上記速度構造は、太陽の10万倍の質量をもつ点状重力源周りのケプラー軌道によって再現される。
- この点状重力源は、想定質量と対応天体の不在から、中質量ブラックホールである可能性を指摘。
研究背景
宇宙にあるほとんどの銀河の中心には、太陽の数百万倍の質量をもつブラックホールが潜んでいます。このような超巨大ブラックホールは、より小さな質量のブラックホールの合体により形成・成長すると考えられています。しかし、形成の途中段階で現れることが予見される中質量(102–105太陽質量*2)のブラックホールについては、候補天体がいくつか報告されているものの、確実な検出例はありません。
銀河系中心核「いて座A*」もまた、太陽の400万倍の質量をもつ超巨大ブラックホールと考えられています。その近傍には、中質量(数千太陽質量)ブラックホールの存在が示唆されている星団「IRS13E」があります。しかしながら、IRS13Eが中質量ブラックホールを含むとする説には異論もあり、確実ではありません。一方で、本研究グループでは、銀河系中心分子層*3に発見されたコンパクトかつ異様に速度幅*4が広い分子雲の存在に基づいて、同領域にはIRS13E以外にも中質量ブラックホールが複数存在する可能性を指摘しています(2017年7月18日プレスリリース等)。ただし、ブラックホール以外の天体・要因でも同様の分子雲を生成することは可能であり、上記解釈は一義的ではありません。その確認のためには、ブラックホールのような点状重力源が生じるガスの運動状態を、正確に再現している分子雲を検出することが本質的に重要です。このような研究は、銀河中心核超巨大ブラックホールの形成・成長過程を明らかにすることにつながるため、非常に重要であると言えます。
本研究チームは、ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡*5を使用して取得された一酸化炭素 (CO) の回転スペクトル線サーベイデータを精査し、点状重力源との相互作用によって生じたと考えられるコンパクトかつ広速度幅な分子雲の探査を集中的に行いました。その結果の一つとして、「いて座A*」の北西、約3分角(20光年の距離に相当)離れた方向に一つの特異な分子雲を発見しました。これは周囲の分子雲群から明瞭に孤立しており、「おたまじゃくし」様の空間速度構造をもつという特徴があります(図1a–c)。国立天文台野辺山宇宙電波観測所45 m 望遠鏡で取得されたCOおよびCS(硫化炭素)サーベイデータ中でも、その存在が確認されました。
詳細な解析の結果、「おたまじゃくし」は天球面上で円弧状の形態を有し、それに沿って視線速度が連続的に変化していることが明らかになりました(図1d)。この空間速度構造は、一つの閉じた軌道上に沿って分子ガスが分布・運動していることを示唆しています。そしてこの観測された空間速度構造は、10万太陽質量の質点周りのケプラー軌道によって極めてよく再現されました。このことは、「おたまじゃくし」がそのように巨大な質量をもつ点状重力源を周回していることを意味しています。そして、複数の分子スペクトル線強度の情報から得られる物理状態のふるまいも、ガスが点状重力源に捕捉された様子を示していることが分かりました。
さらに本研究チームは、この点状重力源の正体を探るべく、「おたまじゃくし」を含む天域のさまざまな波長のイメージを確認しました。しかし、想定される位置に明るい天体が発見できないことから、点状重力源が星団である可能性は低いと考えられます。また、軌道要素から与えられる質量密度の下限値が膨大であることから、この点状重力源が中質量ブラックホールである可能性が強く示唆されます。以上の事実を総合すると、この「おたまじゃくし」は約10万太陽質量の不活性なブラックホールとの重力相互作用によって加速された分子雲であると考えられます。
今後の展開
本研究により、銀河系中心核「いて座A*」近傍に、新たに一つの中質量ブラックホール候補天体を発見しました。その痕跡である「おたまじゃくし」は周囲から明瞭に孤立しており、空間速度構造は単調なものでした。このことは、同分子雲の異常な速度幅に関して点状重力源との相互作用以外の解釈を棄却します。したがって、分子ガスの分布・運動から示唆された中質量ブラックホール候補天体の中で、最も確度が高いものであると考えられます。銀河系中心核「いて座A*」から非常に近い距離にあることから、将来的に「おたまじゃくし」を駆動する中質量ブラックホールは超巨大ブラックホールに飲み込まれていく運命にあると考えられます。
本研究チームは、アルマ望遠鏡*6を用いた高解像度観測を予定しています。これにより、ケプラー軌道上にある分子ガスを明瞭に捉えられる可能性があります。詳細な構造を捉えられれば、精密な軌道パラメータを決定できることが期待されます。また同様の研究では、過去に高分解能観測によって中質量ブラックホール候補天体の実体を捉えた例があります(2017年9月5日プレスリリース)。したがって、アルマ望遠鏡での観測と対応天体の探索から、「おたまじゃくし」を形成する点状重力源の実体が明らかになるかもしれません。
参考文献
■ 慶應義塾大学プレスリリース(2017年7月18日)
「天の川銀河中心部で新たに2つの『野良ブラックホール』候補を発見」
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2017/7/18/28-21984/
■ 慶應義塾大学プレスリリース(2017年9月5日)
「天の川銀河で中質量ブラックホール候補の実体を初めて確認」
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2017/9/5/28-23915/
本研究成果は、1月10日発行の米国の天体物理学専門誌『The Astrophysical Journal』に掲載されました。論文の題目、および著者と所属は以下の通りです。
【発表雑誌】 | The Astrophysical Journal |
【論 文 名】 | Discovery of the Tadpole Molecular Cloud near the Galactic Nucleus |
【著 者】 | 金子 美由起(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2年) 岡 朋治(慶應義塾大学 理工学部 物理学科 教授) 横塚 弘樹(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2022年3月修了) 榎谷 玲依(慶應義塾大学 理工学部 物理学科 研究員) 竹川 俊也(神奈川大学 工学部 物理学教室 特別助教) 岩田 悠平(国立天文台 科学研究部 特任研究員) 辻本 志保(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 博士課程2021年3月修了) |
【掲載URL】 | 『The Astrophysical Journal』, January 10, 2023, vol. 942, Number 1, 46(8pp) https://iopscience.iop.org/article/ 10.3847/1538-4357/aca66a doi: 10.3847/1538-4357/aca66a |
用語説明
※1 | ブラックホール:極端に強い重力を持ち、光すらも抜け出せないほど周囲の時空を歪める暗黒天体。アインシュタインの一般相対性理論によりその存在が予言された。 |
※2 | 太陽質量:天文学で使われる質量の単位。1太陽質量=1.99×1030 kg。 |
※3 | 銀河系中心分子層:「いて座A*」から半径1000光年程度の範囲に広がる特に激しい運動状態の領域。 |
※4 | 速度幅:観測されるスペクトル線は、ドップラー効果により観測者との視線方向の相対速度(視線速度)に応じて周波数が変化する。この周波数の変化量を測定することで、天体の視線速度を知ることができる。周波数で表されたスペクトル線幅を視線速度に換算したものを「速度幅」という。 |
※5 | ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡:ハワイのマウナケア山頂にある、口径15 mのサブミリ波望遠鏡。現在は東アジア天文台によって運用されている。 |
※6 | アルマ望遠鏡(ALMA:アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計):南米のチリ共和国北部にある、アタカマ砂漠の標高約5000メートルの高原に建設された巨大電波望遠鏡。国立天文台を代表とする東アジア、米国国立電波天文台を代表とする北米連合、欧州南天天文台を代表とするヨーロッパなどの国際共同プロジェクトとして進められている。 |
研究チーム
慶應義塾大学
神奈川大学
国立天文台 (Japanese)
National Astronomical Observatory of Japan (English)