天の川を高速で通過した暗黒物質サブハローの痕跡を発見
慶應義塾大学大学院理工学研究科の横塚弘樹(2022年修士課程修了)と同大学理工学部の岡 朋治教授の研究チームは、天の川の比較的静穏な領域において、異常に広い速度幅*1 (約40 km s–1) をもった分子雲 (CO 16.134–0.553) を発見しました。この分子雲は膨大な力学的パワーを有し、過去に強い衝撃波を受けた痕跡が見られるにもかかわらず、明確なエネルギー供給源が付随していません。過去の広域データを精査した結果、CO 16.134–0.553がやや大きな分子ガスの膨張球殻状構造 (シェル) の一部を構成すること、天の川の当該領域には巨大な原子ガスの「空洞」が存在し、天の川下方には長大な直線状「フィラメント*2」が存在していることが分かりました。これらの空間構造は、天の川銀河のハロー部から降ってきた何らかの天体が天の川銀河円盤部を高速で通過したことを意味しています。フィラメントの先端に明るい天体が存在しないことから、ハロー部から降ってきた天体は矮小銀河*3や球状星団になり損ねた「暗黒物質サブハロー」である可能性が高いと考えられます。
本研究成果は、2024年3月14日発行の米国の天体物理学専門誌『The Astrophysical Journal』に掲載されました。
天の川に突入した暗黒物質サブハローの想像図(クレジット: 慶應義塾大学) |
1. 本研究のポイント
- 天の川の静穏な領域において、異常な速度幅を有する分子雲を発見。
- 上記分子雲は衝撃波起源の分子を豊富に含み、明瞭な半球殻構造の一部を構成。
- 巨大な「穴」と下方に伸びる「フィラメント」の存在から、これらがガス雲を伴った暗黒物質サブハローの突入により形成された可能性を指摘。
2. 研究背景
私たちが住むこの天の川銀河(銀河系)は、2000億から4000億個の恒星、星間ガス、そして大量の暗黒物質から成る巨大な円盤渦巻銀河です。これは直径約10万光年の円盤部と中心のバルジ部、それらを取り囲む直径約30万光年のハロー部で構成されています。銀河系円盤部には、恒星とともに諸相の星間ガスが雲状に分布しており、それらのうち主に水素分子で構成される濃い星間ガス雲を「分子雲」と呼びます。私たちの太陽系は円盤部の銀河系中心から約2万7千光年離れた場所に位置しています。一方で、銀河系ハロー部には暗黒物質が広がり、その中を約150個の球状星団と50個以上の矮小銀河、そして多数の希薄な水素原子雲などの天体が飛び交っています。ハロー部の暗黒物質は一様ではなく、各種ハロー天体を取り囲むように高密度な領域が存在していると考えられています。これを「暗黒物質サブハロー」と呼びます。しかしながら、銀河のハロー部で観測される矮小銀河の数が、理論的に予測される暗黒物質サブハローの数に比べて圧倒的に少ないことが問題(ミッシング・サテライト問題)となっていました。
本研究チームは、過去に行われた一酸化炭素 (CO) 回転スペクトル線による天の川広域観測 (FUGINサーベイ*4) データを使用した「広速度幅構造」探査の過程において、一つの特異分子雲を発見しました。この分子雲 (CO 16.134–0.553) は、天の川の「たて座」方向、太陽系から約1万3千光年の距離にあり、明瞭な対応天体が付随しないにもかかわらず約40 km s–1もの異常な速度幅を持っていました。この速度幅は、通常の静穏環境にある分子雲の典型的な速度幅 (1–5 km s–1) と比較して極めて異常な値であり、未知の天体が当分子雲へのエネルギー供給に関与した可能性が指摘されていました。
3. 研究内容・成果
今回、研究チームは、国立天文台野辺山宇宙電波観測所 (NRO) 45m電波望遠鏡を使用して、特異分子雲 CO 16.134–0.553 の詳細な追観測を実行しました。観測したスペクトル線は、一般的な星間分子ガスの調査に用いられる一酸化炭素 (CO) の J=1–0 回転スペクトル線 (115.271 GHz) と、強い星間衝撃波の影響を受けた領域で生成される一酸化ケイ素 (SiO) の J=2–1 回転スペクトル線 (86.847 GHz) です。この観測の結果、CO 16.134–0.553が約15光年×3光年の空間サイズを有する事、太陽光度の780倍もの力学的パワーを有すること、視線速度が異なる (40 km s–1と65 km s–1) 二つの拡散雲を橋渡ししていること、そして過去に強い星間衝撃波を受けた痕跡が色濃く残されていることが分かりました。
この CO 16.134–0.553の周辺環境を調べるために、研究チームはもう一度FUGINサーベイのデータを精査しました。その結果、当分子雲が直径約50光年の膨張球殻状構造(シェル)の一部であること、シェルの端では CO 16.134–0.553 に酷似した成分が複数見られる事が分かりました。さらに広域環境を調べるため、水素原子21cmスペクトル線全天サーベイ (HI4πサーベイ*5) のデータを精査したところ、天の川の当該位置に直径約230光年の巨大な原子ガスの「空洞」があること、そしてその下方に長さ約900光年×幅約230光年の長大な「フィラメント」があることが分かりました。これらの空洞/シェル/フィラメントは、天の川を上から下に貫くように一直線上に配列しており、銀河系ハロー部から降ってきた何らかの天体が円盤部を高速で通過した可能性を強く示しています。そして、フィラメントの先端に明るい天体が存在しないことから、降ってきた天体は矮小銀河や球状星団になり損ねた「暗黒物質サブハロー」である可能性が高いと考えられます。 以上の観測事実を最も良く説明するシナリオとして、研究チームは以下を提唱しています。
4. 今後の展開
本研究により、矮小銀河よりも小さな質量をもつ暗黒物質サブハローの存在が確認されました。そのような天体は、冷たい暗黒物質を仮定した標準宇宙モデルによって存在が予測されていたものの、実際の観測で確認されたのは初めてのことです。また、矮小銀河や球状星団などの「見える」天体を伴わない暗黒物質サブハローの確認も初めてのことです。今後、Gaiaなどによる高精度な位置天文観測データを注意深く解析することによって、当該天体の精密な情報を得ることができるでしょう。
また、この発見の端緒となったのは、銀河系円盤部における広速度幅の分子ガス構造の無バイアス探査でした。このことは、同様の探査を継続・拡大することによって、同様の発見が見込まれることを意味しています。銀河系円盤部の中性ガスの精密な分布・運動の把握によって、さらなる暗黒物質サブハローの間接検出が見込まれます。このことは、私たちの住む銀河系(天の川銀河)の理解をより深めるとともに、標準宇宙モデルにおける「ミッシング・サテライト問題」の解決に大きく貢献するものと考えられます。
原論文情報
本研究成果は、3月14日発行の米国の天体物理学専門誌『The Astrophysical Journal』に掲載されました。論文の題目、および著者と所属は以下の通りです。
“Millimeter-wave CO and SiO Observations toward the Broad-velocity-width Molecular Feature CO 16.134–0.553: A Smith Cloud Scenario?”
横塚 弘樹(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2022年3月修了)
岡 朋治(慶應義塾大学 理工学部 物理学科 教授)
辻本 志保(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 博士課程2021年3月修了)
渡邉 裕人(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2021年3月修了)
金子 美由起(慶應義塾大学 大学院理工学研究科 修士課程2023年3月修了)
『The Astrophysical Journal』, March 14, 2024, vol. 964, Issue 1, id.52(7pp)
https://iopscience.iop.org/article/10.3847/1538-4357/ad1f63
doi: 10.3847/1538-4357/ad1f63
参考
国立天文台野辺山宇宙電波観測所
慶應義塾大学理工学部 岡朋治研究室
※1) | 速度幅:天体を構成するガスの運動に起因する、スペクトル線の周波数幅のこと。 |
※2) | フィラメント:細長い空間構造のこと。 |
※3) | 矮小銀河:数十億個以下の恒星からなる小さな銀河。恒星数は天の川銀河の1/100以下である。 |
※4) | FUGINサーベイ:野辺山45m望遠鏡に搭載された従来の10倍の観測効率を実現したFOREST受信機を用いて、一酸化炭素 (CO) 115 GHz回転スペクトル線による天の川の地図を作ることを目的とした掃天観測(サーベイ)プロジェクト。 |
※5) | HI4πサーベイ:水素原子 (HI) 21 cmスペクトル線による全天サーベイ・プロジェクト。Effelsberg-Bonn HI survey (EBHIS)とParkes Galactic All-Sky Survey (GASS) によるデータを統合したもの。 |